2024/1/10-1/24
Saya Kubota :Solo Exhibition "WORK IN KURAYOSHI FOREVER"
久保田沙耶:久保田沙耶個展 WORK IN KURAYOSHI FOREVER -かなしみ讃歌-
「ぼくは倉吉が大嫌いだからAIR に携わったんだ。」倉吉に残るありとあらゆる郷土文化に
触れさせてくれた徳吉雅人さんが、車の中で当たり前のように放ったその一言は、衝繋的だっ
た。それが一体どういうことを意味するのか知りたかったが、その時私には何も聞くことが
できなかった。
明倫AIR に携わったこの数年間のことは、今もはや言葉にすることができない。ただ、
私の中で、「何か」がずっと心のヒダとなっていた。ー級河川の暴れ川をはさんで立つ老木の
イチョウとスダジイの友情。イチョウの下の頭が河原石のお地蔵さん。スダジイに寄生して
育つ花嫁のような椿。その側で見守る白衣観音。それら一つ一つがどういうわけか一つに溶
けて、一つの時間でもなく、場所でもなく、物質でもなく、空間でもなく、けれども確かに
流動的な何かとして、私の心身を支えた。敢えて例えるとしたら、それは「泉」のようなも
のかもしれない。それは倉吉にいるときも、倉吉の外で活動している時も、公私ともに命を
燃やす時いつだって私を支えた。
倉吉のみなさんは、どんなときも結果を求めなかった。作品を作る姿勢をただただ長期的
な視線で育ててくれた。心温かい友人たちがちゃぶ台を囲んで一緒に手仕事をしてくれた。
それが全てだ。リサーチによってわかった過去のすべての出来事が、今の倉吉の根っこをひ
とたび触れば、寿命を超えた人間の温もりをもたらしていると誰しもわかるはずだ。AIRの
ミーティングでも、「僕は画伯のすばらしい絵が見たい、それだけだ。」と稲嶋さんがおっしゃっ
てくださった。そんな土地が、そんなAIRが他にあるのだろうか。地域貢献というわかりや
すい結果を求めず、芸箭家の蓉厳を芯から支える街、わたしはこれまでこんなにもすばらし
い街に出会ったことがない。
ある日、徳吉さんがつぶやいた。「倉吉で生きるのがなんだか楽しくなってきた。」正直な
ところ、私はまだ自分の絵画で満足したものを作れたことが一度もない。本当であれば、
徳吉さんがこ存命の間に一枚でも自分がすばらしいと誇れる絵をお見せしたかった。私はい
つも間に合わない。今回の展示にも、誇れる絵がこれから制作できるのかどうか不安だ。
「それがどうした、作品つくれ~。」どこかから声が聞こえる。私の中の「倉吉」がある限り、
私は自分の命が尽きるまでに、一枚でもいいから普遍的な絵を描く人生をあゆみたい。
その決意表明としての一歩。
WORK IN KURAYOSHI FOREVER。かなしみよ、風になれ、水になれ、光はなて。