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SAYA KUBOTA “Reading Texture”
Solo Exhibition

Open Thu~Sun 13:00~19:00

2021.8.26(Thu)-9.19(Sun)

去年から文鳥の雛を飼いはじめ、コロナ禍もあって、ふたりきりの暮らしがはじまった。生まれてからほぼわたしとだけ接してきた文鳥はいわゆる「手乗り文鳥」になり、想像以上にみずみずしいコミュニケーションを交わしている。 わたしたちには上下関係がなく対等だ(とわたしは感じている)。もちろん彼女のためにわたしが変えざるを得なかった生活習慣はあるが、彼女もわたしの生活に合わせるために自分自身のこだわりや癖をあきらめる場面をいくつか発見した。そうやっていつの間にかお互いの在り方を尊重しあうように形成されていく新たな生活リズムに日々驚かされている。

 鳥類は恐竜、獣脚類の生き残りだそうだ。わたしと対等に向き合うこの小鳥の祖先は一体どのような手触りをしていて、どのような色で、どのようにコミュニケーションをし、どのような心を育んでいたのだろうか。幼い頃に図鑑を開けば、ザラザラした肌にむき出しの歯、ギラッとした怖い目の恐竜がいた。いま現在ネットで検索してみれば、羽毛が生えたり色が変わったりユーモラスなフォルムになったりと、月日を経て想像図の変化がめまぐるしい。

 発掘される恐竜の化石から、当時の様子をありのまま捉えることはまだ困難だろう。同様に私たち人間も先史、原史、歴史時代などと呼ばれる時代の様子は、残された土器や石器、文献記録などの限られた遺物を手がかりに想像するしかない。しかし多様な記録媒体が出現した現代にあっても、果たしてわたしたち人間に過去をありのままの姿で捉えることはできるのだろうか。たとえ身近に起きた昨日の出来事であっても、まるで恐竜の想像図がどんどん変わるのと同じくらいに、過去を断定的なひとつの真実として捉えることはわたしにとってとても難しいことのように感じはじめている。すると、これまで頼ってきた歴史意識のようなものは本当にあり得るのかと不安になってきた。過去をみつめることは未来のふるまいを考えることと同じだ。いまここにいる自分や自分をとりまく環境さえもとても不確かなものに思えてくる。

 わたしはしるしをつけるように作品を作りはじめることにした。日常生活のなかの手触りひとつひとつと、それに反応する五感、そんな言葉や考えにとどく前の感覚を「わたしの歴史」として見つめてみたい。わたしたち人間は視覚優位の猿から受け継いだ能力もあって、さまざまな考えを目に言える形で実体化してきた。けれども、鳥と私の関係をきっかけに自然界のありとあらゆる動植物に意識を傾けてみたとき、これまで彼らもずっと生存と共存を続けており、目に見えない倫理や宗教の萌芽があるにちがいないと気がついく。そして遠いむかしの恐竜もまた同じ心映えだったのではないかと思いを馳せる。
ばらばらな感じ方の総体によってうまれるこれらの作品が過去をいろんな角度から照らしはじめたとき、もしかしたらこの小さな恐竜の未来とまなざしを交わすことができるのかもしれない。そしてそのとき、わたしの肌は。

Recently, I started to keep birds. Life with birds is more surprising than I imagined. Birds are considered the surviving relatives of dinosaurs and theropods. I am very much interested in the contrasts between the archeological drawings of shiny-skinned dinosaurs that I saw in books and museums when I was little and the latest images based on recent discoveries where they have feathers and brighter colors.

I decided to start making artworks as if to make a sign. I would like to look at each texture in our daily lives and the five senses that respond to them as “my history”, the senses before they reach words and thoughts.

As humans, we have inherited the ability from the visually dominant apes to materialize various ideas in a form that can be seen. However, when I became aware of all the plants and animals in the natural world, as a result of the relationship between the bird and me, I realized that they have been surviving and coexisting for a long time, and that there must have been the germ of invisible ethics or religion. I wonder if the dinosaurs of the distant past had the same impression.

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Artist
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久保田 沙耶「肌をよむ」

SAYA KUBOTA “Reading Texture”

Solo Exhibition

Open Thu~Sun 13:00~19:00

2021.8.26(Thu)-9.19(Sun)

去年から文鳥の雛を飼いはじめ、コロナ禍もあって、ふたりきりの暮らしがはじまった。生まれてからほぼわたしとだけ接してきた文鳥はいわゆる「手乗り文鳥」になり、想像以上にみずみずしいコミュニケーションを交わしている。 わたしたちには上下関係がなく対等だ(とわたしは感じている)。もちろん彼女のためにわたしが変えざるを得なかった生活習慣はあるが、彼女もわたしの生活に合わせるために自分自身のこだわりや癖をあきらめる場面をいくつか発見した。そうやっていつの間にかお互いの在り方を尊重しあうように形成されていく新たな生活リズムに日々驚かされている。

 鳥類は恐竜、獣脚類の生き残りだそうだ。わたしと対等に向き合うこの小鳥の祖先は一体どのような手触りをしていて、どのような色で、どのようにコミュニケーションをし、どのような心を育んでいたのだろうか。幼い頃に図鑑を開けば、ザラザラした肌にむき出しの歯、ギラッとした怖い目の恐竜がいた。いま現在ネットで検索してみれば、羽毛が生えたり色が変わったりユーモラスなフォルムになったりと、月日を経て想像図の変化がめまぐるしい。

 発掘される恐竜の化石から、当時の様子をありのまま捉えることはまだ困難だろう。同様に私たち人間も先史、原史、歴史時代などと呼ばれる時代の様子は、残された土器や石器、文献記録などの限られた遺物を手がかりに想像するしかない。しかし多様な記録媒体が出現した現代にあっても、果たしてわたしたち人間に過去をありのままの姿で捉えることはできるのだろうか。たとえ身近に起きた昨日の出来事であっても、まるで恐竜の想像図がどんどん変わるのと同じくらいに、過去を断定的なひとつの真実として捉えることはわたしにとってとても難しいことのように感じはじめている。すると、これまで頼ってきた歴史意識のようなものは本当にあり得るのかと不安になってきた。過去をみつめることは未来のふるまいを考えることと同じだ。いまここにいる自分や自分をとりまく環境さえもとても不確かなものに思えてくる。

 わたしはしるしをつけるように作品を作りはじめることにした。日常生活のなかの手触りひとつひとつと、それに反応する五感、そんな言葉や考えにとどく前の感覚を「わたしの歴史」として見つめてみたい。わたしたち人間は視覚優位の猿から受け継いだ能力もあって、さまざまな考えを目に言える形で実体化してきた。けれども、鳥と私の関係をきっかけに自然界のありとあらゆる動植物に意識を傾けてみたとき、これまで彼らもずっと生存と共存を続けており、目に見えない倫理や宗教の萌芽があるにちがいないと気がついく。そして遠いむかしの恐竜もまた同じ心映えだったのではないかと思いを馳せる。
ばらばらな感じ方の総体によってうまれるこれらの作品が過去をいろんな角度から照らしはじめたとき、もしかしたらこの小さな恐竜の未来とまなざしを交わすことができるのかもしれない。そしてそのとき、わたしの肌は。

Recently, I started to keep birds. Life with birds is more surprising than I imagined. Birds are considered the surviving relatives of dinosaurs and theropods. I am very much interested in the contrasts between the archeological drawings of shiny-skinned dinosaurs that I saw in books and museums when I was little and the latest images based on recent discoveries where they have feathers and brighter colors.

I decided to start making artworks as if to make a sign. I would like to look at each texture in our daily lives and the five senses that respond to them as “my history”, the senses before they reach words and thoughts.

As humans, we have inherited the ability from the visually dominant apes to materialize various ideas in a form that can be seen. However, when I became aware of all the plants and animals in the natural world, as a result of the relationship between the bird and me, I realized that they have been surviving and coexisting for a long time, and that there must have been the germ of invisible ethics or religion. I wonder if the dinosaurs of the distant past had the same impression.

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久保田 沙耶「肌をよむ」

SAYA KUBOTA “Reading Texture”

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